中国農民調査(中国語) (大地文学19)
現代に取材したルポルタージュの筈なのに、明清時代の話を読んでいるような気になってきます。中央は度々禁止令を出すが末端になるにつれて霧散してゆく。よく言われる、上に政策あれば、下に対策あり、ではない。中央の指令に対して地方が反抗しているのではなく、中央の指令自体が、「何かを禁止すれば、その穴埋めとして別の搾取が行われる」という、あたりまえの、構造的な対策となっていないことに問題がある。つまり中央の指令とは、綺麗ごとを口にしているだけで、単なる伝言ゲームを行っているというわけです。行政は伝言ゲームをしているだけで、農民が送った告発書が、たらいまわしにされた挙句、当の告発された当人に対処命令が行く、というブラック過ぎる世界はまるでSF小説を読むよう。最近読んだ、明代末期の社会を描いた「万暦十五年―1587「文明」の悲劇」を彷彿とさせる部分も多く見られます。
思うに、「共産党支配」が19世紀的な、あるいはそれ以前からの封建的な停滞に社会を置いているのではなく、20世紀に猛威を振るった共産主義という中国社会に外部から影響を与えた横糸が弱まり、「史的中国社会」という縦糸が色濃く出てきたのが、改革開放以来の中国社会なのではないでしょうか。共産党にも問題があるのは勿論ですが、共産党が無くなったところで、この史的中国社会の本質は簡単には変わらないのではないでしょうか。
これを「遅れている」などと断じるのは簡単ですが、本質が、「史的中国社会」にあるのだとすると、事態は一層深刻なのではないかと思われるのです。
本訳書は、出版前に雑誌に発表された、3/5程の抄訳版とのこと。是非全訳も出して欲しい。また、法令や事件の年表が付いていると、よりわかりやすくなったかと思います。
中国の全省でバカヤローと叫ぶ
とりあえず”笑える”と、こういった爆笑スタイルで中国を表現するのがイチバンいいんではないかと思います。
生真面目にというか、真っ向から問題提起するようなジャンルでは、ついムカムカっと感情的になったり、ホトホト嫌気がさしてしまいます。
この国は、至って「(どれもこれもが、)あ〜、これはおとぼけなんだ」と理解することで、意外と妙な納得感が得られるんだと思います。
企業の中国進出により、単身赴任でやってくるひとの多くは、言葉の障壁と多忙な仕事に追われ続け、休日には疲れ果てて、呆然と過ごしていることが多いと思います。
ところが、「せっかく中国に来たんだから、中国全省を踏破する、名所名跡を見て回る」というのはユニークな発想であり、単身赴任ならではのチャンスです。
本書では、その名所名跡を見てまわるという本来の観光目的よりも、観光に至るプロセスでのエピソード、豊富なヒト観察がおもしろおかしく表現してあり、必ずや笑いのツボに巻き込まれることと思います。
中国農民調査
いったい彼らにとっての20世紀とはなんだったのだろう??? と、この類の情報に接する度に嘆息してしまう、我が日本は世紀初頭に日露戦争を戦い、続く大東亜戦争を戦いぬき、多大な惨禍も瞬く間に克服し20世紀後半からの反映に連なる現在がある、われわれ日本人と日本は大きく誇っていいのである、われわれは確かに20世紀を生きたのだと、
本書の対象となっている国などはさしずめいまだに19世紀以前で時間は止まったままだ、原因は指摘するまでもないだろう(他のレビュアの方々が詳しく語っている)、1990年前後にソビエト連邦をはじめとする共産党主導の社会主義国家郡はなだれをうつように崩壊した、冷戦構造終了からすでに15年を経過、ご近所の複数の国がかかえる諸問題はすべて同じ原因であることと彼らの胡散臭さに関しては、こころある人は事あるごとに語る必要があるとおもう、「理想」は理想を支えきる技術にこそ保証されるのだと、