蝶の皮膚の下
セックスを非日常的な出来事として描いている。梨花は航(わたる)とは、名前も知らないうちに寝てしまう。ホテル?と一言誘われてラブホテルに行ってしまう必然だという説明描写がある。その後の、航の霊感的な障害は、セックスの説明というか、言い訳のように思える。
また、梨花は岡野ともすぐに寝る。そこにも言い訳がある。航のために仕方がない、と。しかしそんなわけがない。この物語は、セックスとドラッグと暴力とアルコールを言い訳した小説である。
梨花という女は恐ろしい。まだ言い訳しているうちはいい。この子がそのうち言い訳をしなくなりそうに予感できて、恐ろしい。
モテたい理由 (講談社現代新書)
非常におもしろく読んだのですが、タイトルと中身にギャップがあるのと、
後半が自分語りに終わってしまったことを残念に思ったことで、★三つ。
(後半も「赤坂真理のエッセイ」として読めば、
なかなか興味深いのですが、この本に載せる必要はなかった気がします)
私は仕事の関係でいわゆる「モテ本」を大量に読んでいるのですが、
「雑誌ウォッチャー」を自称する著者が女性誌を読んでいると、
定期的に襲われるという「鬱」の感覚がとてもよくわかります……
「もう疲れたよ…」という帯コピーは実に秀逸。
長らく(といっても、ここ二年ほどですが)「モテ」に関わり、
「モテ」を読み込み、いろんな意味で「モテ」に振り回されてきた私にとって、
この本は一種の「癒し本」ですら、ありました。
「モテブーム」にイマヒトツ乗り切れず、かと言って無視することもできず、
グルグルしてしまった人には、たいへんおすすめの一冊です。
「うん、疲れたよね…」と思わずタメイキをついてしまいます(笑)。
文藝 2011年 05月号 [雑誌]
特集 森見登美彦
稲葉真弓「春そこから皮膚が」
中村文則「王国」
山崎ナオコーラ「ニキの屈辱」
綿矢りさ「トイレの懺悔室」
小学生の時、「おれ」は友達と共に近所で知り合った親父(おやじ)に、
キリスト教のまねごとをして、懺悔をさせられる。
社会人になって、再び友達と親父に会いに行くが、意外な真相が明らかになる。
秘密を知る者と知られる者の間には支配、被支配という関係が成り立つが、
それが逆転するとき、おぞましい事態を招くことに。
ホラー風の短編小説であるが、人の心理に焦点をあてた作品。
「この小さな懺悔室には、一体なにが宿ってしまったのだろう。
この場所にため込まれた数々の罪は、一体誰が浄化するのだろう。」
ヴァイブレータ (講談社文庫)
もう7年ほど前、月刊誌「群像」にはじめて載ったときに読み、一種の衝撃を受けた作品です。これはいい!と思っていたら、未だに生き残っているし、昨年映画化もされた。日本語を読んでいる感じがしない。その後、著者本人の対談等読んでわかったが、米国滞在経験のあるほぼバイリンガルだそうである。これで納得である。つねに揺さぶられ、あちらへこちらへと定位置に落ち着くことのない世の中、不安定で何となく気持ち悪い雰囲気が、読みやすい言葉でストンと心に伝わってくる。文庫にもなったことだし、一度読んでみてください。
ヴァイブレータ
いやらしい小説じゃないですから。これは主人公がずっと感じている振動のことなんであって。もちろん車の中でのシーンなどに、ちょっとじっとりするかもしれないけども、それはストーリーの中ではまったく自然で、汚くない。この作品の主人公はライターだ。こういうライターはいそうだ。いてもいい。許せる。いっぱいいたら嫌だが。1人ぐらいはいい。だいたい、これだけいろいろな感性がある人なら、結構、売れっ子になっているだろう。話は心理的にはあまり動かないのに、物理的には大きく移動する。そこがおもしろい。動く中での動かない部分。取り残されていく気持ち。トラックに乗せたのは大正解だなあ。