The Grand Design
なぜ、無ではなく何かがあるのか?なぜ、我々は存在するのか?宇宙の法則はなぜこうなっているのか?
ホーキングは宗教や哲学ではなく物理学でこれらの問いに答えようとする(宗教や哲学を否定しているわけではない)。
ファインマンの経路積分の考えから全ての可能性の重ね合わせを観測することで全ての可能性の中の一つとして
我々の宇宙が決まる。それはどんなにわずかな確率でも観測すれば100%になる。驚くべきは現在の観測が「過去」にも影響を
与えるということだ!
ホーキングは宇宙の始まりの前には時間と空間の区別がなかったという無境界条件を仮定する。そこから量子力学的なゆらぎ
により宇宙が創生されたといっているようである。String theoryでは余剰次元の種類が10の500乗あり、それぞれに応じて
素粒子のパラメータ(電荷や質量)が決まる。我々の宇宙はその中の一つであり宇宙の法則もそうであるといい、マルチバース
の考えをとっている。この本全体を通して過去約3000年の人類の物理学の歴史がまとめられている。
M理論では11次元がコンパクト化されて4次元になる理由や電荷や質量などの定数を決定することはできていないが統一理論
の候補だと考えている。この本では宇宙の始まりになぜエントロピーが小さいのか、ということついては触れられていない。
UNIVERSAL SEX―性欲に身障も健常もない
思うにこの人は、乙武さんとは違う意味で障害者のスーパースターなんだと思います。
だからナンパしても成功するし、エッチも結構できてしまうんですよ。
前のレビュアーの方が、語り口が下品だの乙武さんと比較するのが卑しいだのと書いておられますが、
私は全くそんな感じは覚えませんでした。
小早川さんの言葉を借りれば「もてやがってこの野郎!」ですね。
健常だろうと身障だろうと、やっぱり面白い男の人ってのはもてるんですよ。
お笑い芸人なんて、ほんと、女の人に最ももてる職業のひとつじゃありませんか。
そういう人が「性欲に身障も健常もなし」なんて言ったって、
「はいはい、そうですよね。あなたにはね、おもてになって結構なこと」という感じですかね。
もちろん力づけられて、「よーし、ここに紹介されている風俗に行ってみるか!」と元気になられる方がいるだろうということは大変すばらしいことであり、それだけで本当は☆4つの価値はあるのです。
ただ、女はどうなんですかね。
作者の言われる『同級生の女の子はみんなヨダレを滴らして「うぇ〜、うぇ〜」なんて言ってんだから、どう考えたって恋愛対象なんか』とか『こういうこと言うと決まって、「テメェなんて、だれも呼んでねーよー」なんていうババァなんかが』とかのくだりに、なんとも不愉快なもんを感じたんで、熟考した上で☆3つにしました。
女の人って、体の構造上、気持ちの悪い男の人とでもセックスできますが、
男の人は、無理なんですよね、たぶん。そのへんがどうも、やるせないですね。
男の人も女の人も、別に性的に満たされなくても我慢できる人は我慢できるとは思いますが、そうでないひともいるんでしょう。
養護学校で生徒の性処理をしてあげる若い男の先生の話には感動しました。
実在するんですね。そんな聖人のような人。
しかし、それで感動した人が安易に「あたしもやってあげる」なんて言ったら、ホーキングさんに「テメェなんて、だれも呼んでねーよー」と言われてしまうのでしょうが。
Dolls [ドールズ] [DVD]
色んな方のレビューを見てて思うのですが、
それぞれの物語がベタすぎるとか、映像美だけとかって書かれてますが・・
下手すると外国に媚売ってるとか書いてらっしゃる方もいるみたいですが
あの、、基本的にこの物語はハリウッドみたいに純粋に映像とセリフに代表される「表に出てるストーリー」を楽しむものじゃないと思うんですね。
「何十年も土曜日に弁当を持って彼氏を待ち続ける女」なんて現実にいる訳ないじゃないですか
それを、「そんな女現実にいるわけないじゃん」ってツッコんでもしょうがないですよ。
映像で見たまんま、セリフで言ったまんま解釈してどうするんですか
それぞれ3つの物語は、色んな愛の形を3つに大別して、単純化しているだけ。
誤差はあってもそれ相応の恋愛経験のある人は、自分がしてきた愛の形に「近い」ものがあったのでは? 自分ではなくても周りの人でいたのでは?
愛する人を意図的でなくても傷つけてしまった人、 その罪悪感を拭うのに苦労、または払拭出来ない人
きっと永遠に戻らない(であろう)彼氏(彼女)を待ち続ける男(女)
自分の愛する人が堕ちてしまい、それを追う様に自分も堕ちていく人
それを「ものすごーく単純な分かりやすいベタな物語」にして、あくまで例として重ねてるだけだと思います。
日本の四季を美しく描いた→「外国に媚を売ってる」、「外国の映画賞を意識しすぎ」
ってのも全くよく分からないですね。
上記の様な単純思考の方々は、
「一年間通じてデッカイ赤い縄つけて歩くカップルがどこにおんねん」
とか言いそうですが、 別に監督の意図は「綺麗な映像を撮る」事でも、もちろん外国の映画賞を意識した訳でもないと思いますよ。
あくまで「時間の流れ」を四季で表現しただけであって、その時間の流れを表現するのに一番分かりやすかったのが四季であっただけだと思う。
少なくとも「日本の綺麗な四季」を映像化して外国に宣伝する為じゃなかった事は断言出来る。
自分の愛する人が自分のせいで白痴になってしまい、それから2人して堕ちて最期を迎えるまで、 二人には色んな思い出や、もちろん辛い事もあって、
その時間と回想を、四季と重ね合わせた「映像」、それと二人の道のりを「歩く」事で表現しただけだと思うのですが。
仮に、「日本の四季を海外に宣伝しない為」に、どっかの夏の海の浜辺で二人がず〜っと座って回想してたらいいの?
「時間的に」どれだけ思い出があって愛してたかも、その愛がどれ程辛かったかも全然伝わらないじゃん。
暑い道、寒い道、綺麗な道、汚い道、を「歩く」事で2人の刹那的(二人にとっては幸福的)な運命を表現してると思うのですが
四季の映像 = 時間
歩く = 二人の生きてきた道、経験、思い出
縄 = 運命
を比喩的に表現してるよーな気がします。
監督の意図は違うかもしれないけど、「海外に宣伝するためだけの映像美」よりは近いと思う
この映画の良さが分からないんじゃ、セカチューやタイタニックを見てりゃいい、 ってのは言葉として言い過ぎだとは思うけど
星ひとつ、ふたつの人は、逆にもうちょっと読解力、想像力を持たないと日常生活困るでしょ、 コメント見る限り。