チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
1962年9月ウィーンでの録音。リヒテルの西側デビューが1960年で、「幻の巨匠」の噂は西欧を走ったが、2年後、その評価を決定づけたのが本盤。カラヤンのバックで、いわばキラー・コンテンツのチャイコフスキーの1番を引っさげての登場だったので話題性は十分。付随的に、カラヤンは当時、ウイーン・フィルとの関係が冷えており、(実はかつてから相性のよい)ウイーン響を使っての演奏。これも「意外性」があって一層注目度を上げた。
個人的な思い出だが、中・高校の昼休みに毎日、このレコードがかかる。幾度も耳にした演奏だが、いま聴き直すとライヴ的なぶつかり感、「即興性の妙」よりも、リヒテルの強烈な個性と巨大な構築力を、周到に考えぬきカラヤンが追走している姿が思い浮かぶ。カラヤンはEMI時代から、協奏曲でもギーゼキングなどとの共演で抜群の巧さをみせるが、特に本盤での阿吽の呼吸は、ピアニストと共同して音楽の最高の地点に登攀していくような臨場感がある。けっして出すぎず、しかし背後の存在感は巨大といった感じ。だからこそ、リヒテルという稀代の才能の「衝撃」に聴衆の照準はぴたりと合う。これぞ協奏曲演奏の模範とでも言えようか。
スヴャトスラフ・リヒテル・コンサート/モスクワ音楽院ライヴ1976 [DVD]
リヒテル、61歳(1976年)、モスクワ音楽院大ホールでの演奏録画。しっかりとした姿勢で、打鍵、鋭利に、曲のなかに、聴く者を導く。映像のなかで、コメンテーターが言っているように、正に、作曲家と聴衆との間にある壁を取り払う演奏だ。事実、いずれの曲も、親しみ深く感じられ、これがラベルだったのか、あるいは、エッ、今聴いている曲がベートーヴェンなのか、という思いを持たせられる。さすが、20世紀に君臨した大ピアニストであることを実感する映像である。ただ、ノイズがあるのが、難点であるが、希少な映像であるだけに、その点は、やむを得ないこととしよう。しかし、PCMステレオで聴くよりも、ドルビーディジタル・サラウンドで聴いた方が、ノイズが気にならない。念のために。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集全巻
僕は、最近ではグールドよりもリヒテルの平均律を愛聴しております。
とくに駆け抜ける第1巻第2番ハ短調プレリュードは圧巻です。
鳥肌ヒリヒリ、身の毛もよだつです
日曜日、一人で仕事をするときの友ですが
如何せん、仕事の手を止めてしまう、という難点もございます。
雪~winter with your favorite music~ V-music [Blu-ray]
美しいの一言です。全体的に画質も統一されています。
個人的には北海道のダイヤモンドダストとアラスカのオーロラがお気に入りです。
ダイヤモンドダストがすごいです。表現がおかしいですが、すごくおいしそうです。
現地にいたら思わず口を開けてしまいそうな感じです。
また、オーロラをこれだけ綺麗に収録できた映像作品は初めてではないでしょうか。
音楽の選曲も良く、映像にマッチしています。
ただ、やはり残念なのは自然音との音声切替ができないこと。
V-musicのコンセプトを否定するわけではないですが、自然音での映像も楽しみたいのも事実。
できればこれからのシリーズは自然音も収録してもらいたいところです。
リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢
実に光彩陸離たる連想の流れである。訳者はあとがきで「リヒテルの思考の道筋、(中略)その美しさに圧倒される」と書いたが、医学的にみて、これは躁病における観念奔逸が、辛うじて統合されている状態といえるのではないか。芸術全般にわたる広汎な知識と、重要人物との交友関係とが、この思考の飛翔を病的でないように錯覚させるけれども、もし身近にこんな人物がいたらどう思うだろうか。私はひたすら迷惑である。もしその人物に才能がなかったら、それはもう地獄だろう。
訳者は大変な苦労をしたに違いないが、大過なく、いや、実に見事に翻訳していると思う。訳注も詳細で親切である。知性でもって読み進めるのは困難だけれど、論理を追う必要性が少ないので、頭の浅いところだけで何となく読んでしまうこともできる(曲についての解釈やイメージの作り方など、結構面白かった)。本当は失礼なのだろうけれど、私にはそのようにしか読めない本であった。