真昼の決闘 [DVD] FRT-031
聞きなれた主題歌の歌声に、リー・ヴァン・クリーフの悪党面が被さるともう止まらない。かならず最後まで再見してしまう馬鹿なわたし(笑)。でも途中で観るのを止めるのが異常に難しい映画ってありませんか?「カリオストロの城」とか「独立愚連隊、西へ」とか「スティング」とか…見事に脈絡無いな、しかし。
初老に差し掛かった主人公の一挙手一投足が当時のゲーリー・クーパーにダブって、見ているとだんだん自分の息があがってくる気すらしてくる。町の人間模様の描写のみごとさが作り物の物語に命を吹き込み、立ち去ろうとする彼がバッジを外すしぐさが(激しい怒りに投げ捨てるでもなく、しかしもはや何の未練も無く…)その胸の内のすべてを雄弁に語る。お見事!これぞ映画。
もしあのラストが町民たちとの協力で悪漢を退治するハリウッド・エンディングになっていたら?…ま、こんな文章を書いていないことだけは確かでしょうね。アメリカ人にとっては修身の教科書的な(あるいは反面教師?)存在なのかも。
すっかり世慣れてしまった現在でも観ると何かを考えてしまう、そんな映画です。
真昼の決闘 [DVD]
ゲーリー・クーパーが熱演する1952年製作の「ハイヌーン」です。
1939年製作の「ボー・ジェスト」では哀れ砂漠の堡塁で集中砲火の餌食になってしまったクーパーでしたが、本作ではやはり孤立無援の保安官ながら、ならず者の無法と暴力の脅威に沈黙する善良な市民の協力なしに4人の敵を倒し、(うち1名は新妻グレイス・ケリーがやっつけます)この絶体絶命の窮地を辛うじて切り抜けるのです。
冒頭いきなりあの有名なディミトリ・ティオムキン作曲の主題家が鳴りわたり、その後も折に触れて劇伴されるのはいま見ると煩い限りですが、初めて劇場で見物したときには地平線の彼方からやってくる正午到着の列車ともども興奮したものです。
何年も市民のために貢献し、多くの悪漢どもを牢屋に送り込んできた功労者だというのに、いざ本当の危機がやって来ると無二の親友さえも助けようとはしない。正義やら法律なんかよりおいらの命と町の平和がよっぽど大事だ、というわけです。
結婚したての妻にもそっぽを向かれ、こんなはずではなかったと冷や汗たらたらのクーパーの焦りと苦しみは、満更私たちの身に覚えのないものではありませんし、こういう乗るかそるか、生きるか死ぬか、男や女の一分が立つか立たぬかという非常事態はこれからも頻々と起こるに違いありません。
そうして結局、人世なんて、どうせ死ぬならてんで恰好よく死なう! 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!という教訓がさすらいの荒野にも残されたわけでした。
男一匹金玉二つてんでカッコよく死んでやろうじゃん 蝶人
荒野の七人/真昼の決闘 [DVD]
有名なPart1から順を追って観てきたSeriesなので、どうしてもPart1と比較してしまうのは人間の性(サガ)と言うものだが
それではこの作品が余りにも気の毒だと思い、敢えて単品でReviewする事にした。
主人公の保安官クリスを演じるのはマカロニウェスタンで一躍有名になったコンドル、リー・ヴァン・クリーフ。
今作では頭髪フサフサで、かなり違和感あるが、どっからどう見ても悪役面なので、更に違和感を感じる。
このクリス、どうやら名うての早撃ちGunmanだったらしく、嘗ての相棒を狙う悪党をやっつけるところから物語は始まる。
嘗ての相棒は他の町で保安官を勤めており、その町が悪党どもにやりたい放題にやられているからクリスに助けを求める。
しかしクリスは『もう年だし、新婚だから危ない事はしたくないのだ』と言って断る。
これでは映画にならないので、町で銀行強盗を働いた若造どもに新妻を攫われ、クリス自身も重傷を負い
観ている方は『おいおい、どうなんねん?』とScreenに釘付けとなる。
ここからは流石リー・ヴァン・クリーフ主演だけあってマカロニっぽいStory展開となり
中にはマカロニからパクッたようなEpisodeも盛り込まれ(例えば「盲目ガンマン」)結構見せ場は豊富である。
ここで敢えてSeriesの中での面白さの比較をすれば前作、前々作より面白いと私は思う。
但し、リーさん以外の6人の面子は物凄いLevel Downしており、まぁマシなのはルーク・アスキューとエド・ローターぐらいか。
エド・ローターもこの作品では殆ど個性を殺してしまっているが。
最後にルーク・アスキューが演じたマーク・スキナーと懇ろになる女性役のエリザベス・トンプソンが良いですねぇ。
美形で巨乳なので、大勢出てくる女優達の中でも一際光り輝いております。
日本フィル・プレイズ・シンフォニック・フィルム・スペクタキューラ Part4~エピック&西部劇篇~
1980年代以降、映像音楽の録音といえば、ジョン・ウィリアムズの指揮するボストン・ポップス・オーケストラとエリック・カンゼルの指揮するシンシナティ・ポップス・オーケストラによるものが、質的に突出したものとして存在してきた。
しかし、前者に関しては、オリジナル・サウンドトラックの演奏と比較すると、しばしば、演奏に生気を欠くことが多く、また、後者に関しては、近年になり、編曲に劣悪なものが増え、指揮者も精彩を欠くようになり、徐々にこのジャンル自体が魅力を失うようになった。
しかし、今世紀にはいり、日本フィルハーモニー交響楽団によってたてつづけに録音された6枚のCDは、上記の両横綱の録音と比較しても遜色のない、高水準の内容を誇るものである。
沼尻 竜典と竹本 泰蔵という有能な指揮者の的確な演出のもと、20世紀の古典ともいえるハリウッドの代表的な作曲家の傑作の数々が実に見事に奏でられている。
これらの演奏の特徴は、あえていえば、オリジナルの魅力を過剰な演出をくわえることなくありのままに表現していることにあるといえるだろう。
いずれの作品も、世界中に配給される映像作品の付随音楽として作曲されているために、もともと高度の娯楽性と表現性をそなえた作品である。
ここに収録された演奏は、それらの作品が堅実な職人性のうえに自然体に演奏されるだけで、視聴者に無上の歓びをあたえてくれることを明確に示していると思う。
いずれにしても、20世紀後半、正当な評価をあたえられることなく、ハリウッドの片隅において高水準の管弦楽曲を創造しつづけた数々の現代作曲家の労作をこうしてまとめて鑑賞してみると、あらためてそれらが実に良質な作品であることに驚嘆させられる。
そこには、紛れもなく、最高の職人性と大衆性が見事な結合を果たしているのである。
日本フィルハーモニー交響楽団による6枚のCDには、そうした身近なところに存在していた現代芸術のひとつの奇跡が封じ込められている。