両想いのマジシャン2人が、サディスティックに傷つけあい、主導権をあらそう物語です。女たちは“飾り”にすぎません。メインは同●愛です。(本国イギリスおよびアメリカでは知られた裏設定です)
クリストファー“メメント”ノーランは、天才肌のナルシストのゲイです。むろん「オトナの事情」から、本作ではそういった“ニュアンス”は隠されています。しかし、隠しきれずに匂い立っているシーンが、いくつかあります。たとえば序盤のロープをふたえ結びにするシーンは、嫉妬です。女を溺死させたのは、女への憎しみなのです。(どうでもいいですが)
ゲイの監督はゲイの俳優でキャストを固めたがります。本作ではデヴィッド・ボウイまで招集しています。また、近年のハリウッドのヒーローものは、ヒットした作品すべてが、ゲイによって創られています。『クモ男』も『コウモリ男』も『エックス男』も『スーパー男』も、みなそうです。新作『ダークナイト』でも、さらなるゲイの底力を魅せてくれることでしょう。(どうでもいいですが)
瞬間移動のタネは?おすすめ度
★★★☆☆
クリストファー・ノーラン監督作品。デビッド・カッパーフィールド監修。クリストファー・プリースト原作。
ライバルとしてしのぎを削りあっていた2人の天才マジシャン、ロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール)。
ある舞台でのマジック本番中、アンジャーが水槽からの脱出に失敗し、ボーデンの目の前で溺死した。ボーデンは殺人の罪で逮捕され、死刑を宣告された。
しかし、これは、アンジャーが仕掛けた史上最大の『イリュージョン』であった。
アンジャーとボーデンは、もともと兄弟弟子で、師匠の舞台に、アシスタントとして、サクラとして、一緒に立っていた。
そんなある日、マジック本番中に、ボーデンのミスが原因で、やはり助手をしていたアンジャーの愛妻を事故死させてしまったのだ。
アンジャーはボーデンを恨み、復讐の鬼となり、ボーデンのトリックを暴き、失脚させようとする。
しかし、ボーデンも負けじと、アンジャーのトリック破りに躍起となるのだった。
そして、2人のマジック対決は、大仕掛けの『瞬間移動』がテーマとなる。
ボーデンが先に瞬間移動を完成させ、観客を集める。アンジャーはそのトリックがわからない。が、やがてアンジャーも独自に瞬間移動のトリックを完成させる。
2人は、いったいどんなトリックで、瞬間移動を完成させたのか? 溺死したアンジャーのトリックとは?
原作小説を読んだときも思ったのだが、この話は、『ミステリー』ではなく、『SFファンタジー』であるということを、忘れてはならない。
『現実』のマジックの種明かしを求めると、肩透かしを喰らうだろう。
それはある意味、禁じ手、ドラえもんの道具のような『装置』が登場するからである。
ボーデンのトリックは許せても、アンジャーのトリックは許せないという人は、多いだろう。
そこは『SFファンタジー』と割り切り、他の部分、テーマに目を向けよう。
2人は、命を賭け、人生を捨ててまでも、復讐や、相手を蹴落とすことに、執着していく。
その結果、どうなったか?
勝者はどちらであろうか? その者は、本当に『勝った』と言えるのだろうか?
誰かを陥れることで、人は決して幸せにはなれない。そんな人間ドラマだ。
2人のトリックの伏線は、映画の冒頭から見え隠れする。それは2回目以降に観るときの楽しみとなる。
細部まで妥協なし
おすすめ度 ★★★★★
今回の発売がすごく嬉しいです
。他の方がコメントされているとおり、
買って良かったと思います。
概要
舞台上での華麗なマジックを題材にしながら、できあがった映画全体もひとつのトリックになっている…。そんな面白さがある一作。19世紀のロンドンという設定も絶妙で、「人間瞬間移動」「カゴの中の鳥が消える」など、王道ともいえるマジックが披露されるのだが、その「タネ」があまりに単純なのも、レトロな背景とマッチして唸ってしまう。主演のふたり、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールは、ともに古典的な香りを漂わせるのがうまい役者なので、全体の世界観が統一され、観る者にもマジックをかけていくのだ。
おたがいをライバル視するマジシャン同士が、相手のトリックを盗もうとする駆け引きを軸にドラマが進んでいくのだが、その策略や裏切りは、マジック以上にスリリングだ。当時、電気にまつわる発明を繰り返していた実在の人物、ニコラ・テスラ(演じるのはデヴィッド・ボウイ!)の使われ方もうまい。そして、ラスト。一世一代のマジックのタネが明かされるのだが、その大胆さと衝撃に面食らう! ここでも「19世紀の物語」というエクスキューズで妙に納得させられるのだ。マジックは、かのデビッド・カッパーフィールドが監修。マニアックな要素を娯楽作に仕立てた、クリストファー・ノーラン監督の職人的仕事である。(斉藤博昭)